知られざる日本人の足跡 明治期に成功した経営者も

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第11回はマダガスカルで見つけた日本人の足跡についてです。北部にあるディエゴ・スアレスには、かつて日本人が建てたというホテルが今も残っていました。また町の南にある病院の敷地には、第2次世界大戦時、イギリス軍と戦った日本人の慰霊碑が立っています。

 

第11回 知られざる日本人の足跡 明治期に成功した経営者も

ディエゴ・スアレスに残る「ホテル・ドゥ・ジャポン」の建物
かつて日本人が建てたという「ホテル・ドゥ・ジャポン」の建物

 

「昔、この町に日本人が住んでいたそうだよ」

マダガスカル最北の港町、ディエゴ・スアレス(アンツィラナナ)の商店でそんな話を聞いた。店の人の紹介で、町の歴史に詳しいカッサム・アリさんに話を聞くと、その日本人が建てた建物はまだ残っているという。

 

彼とともに町中心部のコルベール通りに向かった。コロニアル建築がきれいに残る最もにぎやかな通りだ。案内されたのはコンクリートの二階建てのバーで、中がとても広い造りになっていた。「若い頃はよくここに来てダンスをしたものだよ」と彼は振り返る。

 

その日本人は、1900年代の初めにマダガスカルへやってきて、この建物を造りホテルとして営業していたという。「ホテル・ドゥ・ジャポン」という名で、繁盛したそうだ。その後、レストランや映画館も経営し、大成功をおさめた。明治時代に日本から海外へ飛び出してビジネスをするとは、バイタリティーにあふれる人物だったに違いない。

 

カッサム・アリさんは、もう一カ所、日本人ゆかりの地に案内してくれた。「特潜四勇士慰霊碑」だ。第二次世界大戦のさなか、日本軍が特殊潜航艇でディエゴ・スアレス湾に進攻し、イギリス軍と戦った際に、この町の郊外で亡くなった日本兵がいたという。

 

慰霊碑が立っていたのは、ディエゴ・スアレスにある病院の敷地内。湾を一望できる場所だった。碑には、特殊潜航艇の図とともに、4人の日本人の名が刻まれている。碑の前には潜航艇のスクリューも置かれていた。日本軍が、インド洋の西の果てにあるマダガスカルまで戦線を拡大していたとは全く知らなかった。ぼくは慰霊碑を前に、静かに手を合わせた。